カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本一周 east[80]

投稿日:2013年10月12日

懐かしのアインス宗谷

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2008年12月4日

 JR稚内駅から稚内港のフェリーターミナルへ。外国航路専用の埠頭には、なつかしの「アインス宗谷」が停泊している。サハリン航路のフェリーだ。
 2000年8月9日、この「アインス宗谷」に乗った。
 道祖神のバイクツアー「賀曽利隆と走る!」の第5弾目、「サハリン縦断」のメンバー19名と19台のバイクをのせ、「アインス宗谷」は10時、稚内港を出港。全員が甲板に集まり、100円のカンビール(稚内港を離れると自販機の缶ビールは100円になる)で乾杯!
 カンビールを飲みながら、離れていく稚内を眺めた。
 天気は快晴。稚内港からノシャップ岬、日本海へと続く海岸線がよく見える。礼文島、利尻島もよく見える。目の向きを変えると、今度は日本最北端の宗谷岬からオホーツク海へと続く海岸線を一望する。
「アインス宗谷」は宗谷海峡を北へ。
 北海道が視界から消えると、やがて前方にはサハリン最南端のクリリオン岬が見えてくる。そしてアニワ湾に入り、サハリンを左手に見ながら北上。17時30分、サハリン南部のコルサコフ港に到着した。日本とは2時間の時差があるので、日本時間でいえば15時30分。稚内港から5時間30分の船旅だった。
 コルサコフは日本時代の大泊。当時は稚内から大泊へ、稚泊航路の連絡船が出ていた。まさに日本の北への動脈であり、大泊は樺太の玄関口になっていた。
 コルサコフでの入国手続きは現地の旅行会社「ユーラシアインタートランス社」が事前に手配してくれていたおかげで、すごく簡単にすんだ。バイクの持ち込みはうまくいくだろうかと心配したが、それは杞憂でしかなかった。
 コルサコフ港に上陸して驚かされたのは、サハリン警察のパトカーが我々を待ってけれていたことだ。サハリン州の州都ユジノサハリンスクまでの40キロは、赤青灯を点滅させたパトカーの先導つき。前に2台、後ろに1台と、まるでVIP待遇でユジノサハリンスクに向かっていく。この道はサハリンでは一番の幹線。それだけに交通量もけっこう多いが、パトカーはそれらの車をすべて止めて我々のバイクを走らせた。
 ユジノサハリンスクの町中に入ると、赤信号でも交差する道の車を止めて、我々のバイクを優先して走らせた。ほんとうにVIP待遇だった。
 ユジノサハリンスクに到着すると駅前の「ユーラシアホテル」に泊まり、「レストランユーラシア」で夕食。まずはロシア製ビールの「バルチカ」で乾杯。そのあとコケモモのジュースを飲み、ツブ貝などの前菜、メインディッシュの豚肉料理などを食べた。
 翌日から我々はサハリン最北の地を目指してサハリンを縦断したが、稚内港のフェリー埠頭に停泊している「アインス宗谷」を見ていると、そんな2000年の「サハリン縦断」のシーンがなつかしく思い出されてくるのだった。

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稚内港のフェリーターミナル
フェリー埠頭に停泊している「アインス宗谷」


2000年のサハリン縦断

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「アインス宗谷」で稚内港を出発
サハリン最北端のエリザベート岬が見えている


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